大聖寺の文化


明治以降、大聖寺は2度の大火や毎年のように襲われる洪水等の被害によって武家屋敷や町屋等藩政期の町並みはかなり失われましたが、道路事情は近世の道路網とほとんど変化はなく、今でも藩政期の町絵図を手に町並みを散策できるほど城下町の雰囲気が残っています。

このような落ち着いた風情の漂う大聖寺には、今なお武家社会の基本的嗜みであった俳句・歌道や茶道・華道など武家文化の伝統が地域住民の生活の中に色濃く残っています。

とりわけ藩政期武士の式楽として全国諸藩で保護されていた能楽は、維新後顧みられなくなり各流派とも存亡の危機に直面しましたが、その中で宝生流の危機を救ったのが大聖寺藩最後の藩主前田利鬯でした。

利鬯は宝生流シテ方の名手として活躍する一方、大聖寺の町民にも能楽を伝えた結果、昭和初期には錦城能楽会が設立され、現在に至るまで能楽の正月行事『お松囃子』が演じられる、全国でも稀な地域となりました。