宮崎寒雉の梵鐘

宮崎寒雉、知っていますか?お茶をたしなむ方は、宮崎寒雉の名を聞いたことがあるかもしれませんね。初代宮崎寒雉(1712年没)から金沢で代々茶釜を作り続けてきており、2021(令和3)年に15代目が宮崎寒雉の名を襲名しました。

初代寒雉は釜以外にも梵鐘なども手掛けています。第二次世界大戦時金属が不足したため全国で数万の梵鐘が供出され、加賀市では恩栄寺(山中温泉)や専光寺(山代温泉)から寒雉の梵鐘が供出で無くなりました。現在北陸三県で現存している寒雉の梵鐘は28口、加賀市では1口だけです。

その1口が、浄土真宗 正貴山 慶徳寺(大聖寺本町)にあります。画像では判りにくいですが、梵鐘の『池の間』(梵鐘の胴の部分)には『鋳師 加州金沢住 宮崎彦九郎義一』と陰刻されています。彦九郎は通称で義一は幼名です。