畑神社

大聖寺畑町で昭和12(1937)年、南北朝時代の南朝方武将畑時能を祀る畑神社の建立が進められていました。神社を建設するため、前田侯爵(旧加賀藩前田家当主)が総裁、会長は生駒石川県知事といった有力者を中心に『畑時代能公顕彰会』が組織されました。造営計画書によると、総面積は32,000坪でそのうち神社境内敷地は約5,000坪、費用は当時の金額で25万円でした。建設は進んでいましたが、昭和20年の敗戦で国や県は神社関係から一切手を引いたためやむなく中止となり、一部出来上がっていた建物もその後解体されました。現在は参道入り口に畑神社と彫られた大きな石碑(畑時能の遠孫にあたる当時の陸軍大将畑俊六の揮毫)が残るだけです。