竹本鍋太夫碑

明治時代、大聖寺町では義太夫・常磐津・長唄などや踊りが盛んで、町のあちこちで練習が行われていました。やがて、義太夫の指導を受けるため、京都から竹本鍋太夫師匠を招きました。指導を受けたのは芸妓衆たちだけでなく商家の大旦那たちも競って習いました。この『竹本鍋太夫碑』は、当時料亭が並んでいた今出町の先の、錦城中学校近くの三叉路にあります。